年賀状で亡くなった人がいる時の心境!毎年書くおめでとうが素直に書けない…

年賀状

若い時から年賀状はきちんと出していました。

筆まめだという事もあり、住所も中味もすべて手書きです。

 

年賀状だけのお付き合いの人もおります。

充実した内容で旧交を温めます。それで良し。との思いがあります。

 

どんなに忙しくても相手の顔を思い浮かべながら、

「会いたいな!」との思い膨らませ書きます。

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年賀状が書けなくなってしまいました

そんなある年、父が亡くなり、喪中ハガキを送りました。

比較的平凡な生活を営み、これといった災害、

アクシデントに見舞われることなく

生きてきた私にとって身内の死は初めてのことでした。

 

翌年も新年を迎えようとしている時期になりましたが、

年賀状に書く「おめでとう」の文字がやけにに空々しく見えました。

 

毎年書いているはずの「おめでとう」の文字が素直に書けません。

「親父が死んで悲しんでいるのにおめでとうはないだろう」これが心境です。

 

それまで毎年書いていた年賀状、時期が来ると勇んで、

忙しい年の暮れに寸暇を惜しんで、なおかつそれを一つの楽しみとして

マイイベントとしてやり過ごしていた年賀状。

 

書けなくなって初めて気がつきました。

毎年年賀状を書ける喜び、幸せな毎日を送っている証左です。

一言でいいから手書きを添えて

2,3年ご無沙汰しても、

こまめに年賀状をくれる人がほとんどです。

 

こちらの心の痛みを知ってか知らずか

きれいに印字され手書きの部分が皆無です。

 

事務的に出している。本人私に出しているか否かを

把握していないかもしれません。

こんな年賀状欲しくありません。

 

住所等宛名は印刷されている方が後から住所を確認する際

手書きよりも鮮明なので理解できます。

内容も年始の挨拶はいくつかのパターンで変わり映えはしません。

ですからこれもありかな。

 

私だったら、忙しくても、せめて、

添え書きだけでも手書きにします。

 

一言で構いません。「今年は会いたいね」「たまには飲みたいね」

自分と相手をつないでいる一言。

その文言を見るだけで誰に出しているかがわかります。

メールでは伝わらない思い

今、ライン・メールでのやり取りが主流です。

年配者でも簡単なメールは打ちます。

年賀状の代わりに、新年のメールが飛び交っています。

 

私でさえ、子供たち・友達・会社の同僚とメールでのやり取りが日常茶飯事です。

込み入った内容でも話でなく、メールで済ますことがあります。

 

ただ、あくまで事務的な範囲であり、

感情移入した内容を伝えることは難しいです。

それこそ、誤解を生む要因にさえなりかねません。

 

年賀状にまつわるエピソードがあります。

若い時からの友達でお互いに帰省し年賀状が40年あまり続いています。

 

今も続行中です。年賀状の内容は版画が得意で毎年

干支にちなんだ流行を取り入れた版画絵を印刷して送ってきます。

 

必ず、描かれた絵の片隅に汚い文字で添え書きがあります。

「お元気でしょうか?」と。

さいごに

年賀状に限らず、人に思いを伝える手段として、

書くことがあります。

書くことには媒体として文字が存在します。

きれいな字があります。上手い字があります。

 

よくこんなに汚く書けるなと思うほどの汚い字があります。

いずれも、その字は書く人の人柄を伝えます。

 

どんな字でも彼の・彼女の書いている時の絵を思い起こします。

それが文章に乗って私に届きます。だから、私も届けたい。

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